創業の歴史
創設者の野村徳七
野村貿易株式会社は、野村徳七によって創設された旧野村財閥に属する企業の一つです。
徳七の出発点は証券業ですが、証券業者として成功を収め、実業に進出していきました。
その最初の一歩となったのが、1917(大正6)年に「野村商店」内に「野村南洋事業部」を創設し、
同年にボルネオの農園を購入したことに始まる海外での事業、南洋事業でした。
野村南洋事業部創設のきっかけとなったのは、前年1916年に台湾・南洋方面への約2ヶ月に亘る旅に参加し、南方を視察したことにあります。
台湾からマニラ、ボルネオ、セレベス、スラバヤ、ジャカルタ、シンガポール、サイゴン、香港、上海と
回りました。徳七は各地で精力的に製糖工場、椰子園、ゴム園、植物園、動物園などを見学し、
現地の商工関係者と話をして回りました。
帰国後、旅行中にスラバヤで知り合った日本人雑貨商からの連絡により、
ボルネオのゴム農園が売りに出されていることを知りました。綿密な調査の結果、
1917年農園の買収を決断しました。未経験な事業を海外で始めようとするのですから、
当然反対の声も強かったことでしょう。しかし、徳七の決意は固く、
「驀直進前」の精神で発展拡大していきました。
戦後、貿易商社として再出発しましたが、徳七の開拓者精神を受け継ぎ、新分野の開拓に努め、
今日の幅広い商品構成と海外ネットワークを築くに至っています。
野村貿易株式会社は、野村徳七によって創設された旧野村財閥に属する企業の一つです。
徳七の出発点は証券業ですが、証券業者として成功を収め、実業に進出していきました。
その最初の一歩となったのが、1917(大正6)年に「野村商店」内に「野村南洋事業部」を創設し、同年にボルネオの農園を購入したことに始まる海外での事業、南洋事業でした。
野村南洋事業部創設のきっかけとなったのは、前年1916年に台湾・南洋方面への約2ヶ月に亘る旅に参加し、南方を視察したことにあります。
台湾からマニラ、ボルネオ、セレベス、スラバヤ、ジャカルタ、シンガポール、サイゴン、香港、上海と回りました。徳七は各地で精力的に製糖工場、椰子園、ゴム園、植物園、動物園などを見学し、現地の商工関係者と話をして回りました。
帰国後、旅行中にスラバヤで知り合った日本人雑貨商からの連絡により、ボルネオのゴム農園が売りに出されていることを知りました。綿密な調査の結果、 1917年農園の買収を決断しました。未経験な事業を海外で始めようとするのですから、当然反対の声も強かったことでしょう。 しかし、徳七の決意は固く、「驀直進前」の精神で発展拡大していきました。
戦後、1951年に貿易商社として再出発しましたが、徳七の開拓者精神を受け継ぎ、新分野の開拓に努め、z今日の幅広い商品構成と海外ネットワークを築くに至っています。